浦和フットボール通信

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河合貴子のレッズ魂ここにあり!「輝く未来へ突き進め!(後編)~山田直輝選手」

J開幕から浦和レッズを追いかけ、ケーブルテレビのパーソナティなどで活躍をしている”タカねえ”こと河合貴子さんによる浦和レッズコラム。毎週、タカねえの独自視点の浦和レッズを語ります。

”浦和のハート”山田直輝、復帰を勇気付けた憧れのOBの存在

ようやく、サッカーが出来るスタートラインに立った山田直輝選手だが、約1年2カ月は本当に長かった。

「6カ月ぐらいで復帰出来るって思っていた。怪我した当初に、1年2カ月の怪我って言われていたら、長いなぁって感じたと思うが、6カ月で復帰出来ると思って伸びて来たんで、そんなに長くは感じていなかった。過ぎたら、長かったなって思う」と孤独なリハビリ生活を振り返り山田直輝選手は笑った。どのぐらい頑張れば良いのか分からない不安な日々を過ごし、終わりが見えないリハビリ生活に、心が挫けそうになりながらも此処まで復活して来たのだ。

昨年、手術が終わって、やっとぎこちないながらも歩けるようになった山田直輝選手は、階段も1段づつゆっくりと慎重に昇り降りをしていた。その頃の山田直輝選手は、アイスボックスの上に怪我した左足を乗せて、チームメイトの練習を羨ましそうに眺めていたのだ。「手術した所を見て良い?」と声をかけて山田直輝選手の左膝を見ると、手術痕は本当に小さいが、膝全体が浮腫んで痛々しかった。

膝の痛み以上に、心の傷の痛みを思うと涙が零れそうになったが、グッと堪えて「な~んだ!意外と小さいのね」と明るく笑って見せた。山田直輝選手と小野伸二選手の怪我がダブって見えた私は「小野選手の膝には何回手術した痕が残っているか知ってる?自分を応援してくれる人達がいる。自分を待っている人達がいる。そして、何よりもフットボールが好きだから・・・。小野選手は復活して来たんだよ」と小野選手の話をした途端に、山田直輝選手の顔が明るく輝いた。「凄いなぁ・・・小野さん。僕はまだ1回だ」と呟く山田直輝選手に「復活に懸ける思いは、山田選手も小野選手も同じだね」などと話して笑った。私が見て来た小野選手の復活までのエピソードを山田直輝選手は真剣に耳を傾けてくれたのだ。

それから数週間後のことである。埼スタで行なわれた清水戦のメンバーに小野選手の姿は無かった。少々がっかりした私に「たか姉!」と埼スタの記者室前で聞き覚えのある声がした。振り返ると、いるはずの無い小野選手の姿があった。驚きを隠せないでいる私に、開口一番「直輝、大丈夫?」と小野選手が心配そうに尋ねて来たのだ。

「先日、山田選手に、小野選手の話をしたばかりなの・・・」と言うと「どん底にいると思うよ。気持ちが分かるよ。僕の経験談で良ければ話してあげてね」と山田直輝選手を気遣う。機会があったら、直接話をすることが一番だと思いお願いすると、小野選手は快諾してくれた。そのことを山田直輝選手に話すと「本当ですか?小野さんの話を聞きたいです」と楽しみにしていた。しかし、小野選手がシドニーFCへと移籍し、2人が出会う機会は難しくなってしまった。

昨年のシーズン終わりに、山田直輝選手は「本来だったら、合流していても良いはずなのに・・・」と口を尖らせ、今年の春先には「僕のことを忘れないでくださいよ」と苦笑いした。もがき苦しんでいる山田直輝選手を、じっと見守るしか出来ず歯がゆい思いで時は過ぎて行った。

そして、埼スタで小野選手が快諾してくれてから約1年後の5月10日、オフシーズンを利用して大原にやって来た小野選手は、山田直輝選手とやっと話をしたのだ。「直輝は大丈夫!心配いらないよ!凄くしっかりしている」と小野選手は微笑んだ。山田直輝選手に「何を話したの?」と尋ねても「えっ?!何だっけ?覚えてない」と興奮状態。「小野さんと話し出来た。もう最高!心のリハビリをした」と嬉しそうに浮かれる山田直輝選手は、この日、かつて無い幸せに包まれ満面の笑みを浮かべて居た。山田直輝選手にとって、小野選手は雲の上の存在で、小学校のころから憧れの選手だった。その小野選手に「心配していたんだよ」と言われた山田直輝選手は天にも昇る心地であった。

同級生の平川選手と談笑する小野選手

後日、少し冷静になった山田直輝選手は「いろいろと話をして頂いたんですけど・・・。正直、緊張しすぎていて、余り覚えてなくて・・・。要点を3つだけ覚えている」と教えてくれた。

1つ目は「ここのクラブのメディカルスタッフに従っていれば、間違いなく復帰出来る」2つ目は「僕が高校生の時に、小野さんが怪我明けでサテライトにいて、唯一小野さんと一緒にサッカーやった。その時の僕のことを覚えていてくれていて、楽しみにしていたのに、怪我してしまって心配してたんだよって言ってくれた。漠然とだけど嬉しかった。僕だけ一方的に覚えているんだろうなぁって思っていたら、当時のことを小野さんも覚えていてくれた」そして3つ目は「世界のリーグで何処が一番良いですか?と質問したら、一番はヨーロッパが良いが、その国々の良さがある」と話したそうだ。「小野さんと話をしているってことに気を取られ過ぎてしまって、覚えていない」と後悔するほど山田直輝選手は心ここにあらずであったが、嬉しそうに話すその笑顔は、未来への希望の輝きであった。そして、小野選手の気遣いに心が温かくなった。

山田直輝選手が、公式戦に出場するようになるには、まだまだ時間がかかるだろう。リハビリの次のステップ段階に入った山田直輝選手は、試合の体力も大切な課題であるが、頭の中のイメージと身体が付いて来なくて、そのギャップに苦しむだろう。だが、山田直輝選手は、必ずそのギャップを乗り越えて行く。来年のACLのピッチで小野選手が待っているから、立ち止まってなんていられない。サッカーが出来る喜びを感じながら、どんな逆境に置かれても、山田直輝選手は輝く未来に向って突き進む。

Q. 「I」のICINGは?

A. ICING法は目的によって方法が違います。外傷の急性期のICINGと慢性の痛みに対するICING、疲労を取るためのICINGが在ります。怪我した直後のICINGは、冷やすことによって、患部の痛みの感受性を抑制することで痛みを軽減させる効果があります。しかし、あまり冷やし過ぎると神経が非可逆性のダメージを受けてしまいますので注意が必要です。また、冷やすことによって血管の収縮が起き、出血が止まりやすくなります。腫れが強くなるとてくると、外傷部位の酸素不足を起し外傷部位周囲の組織までも2次的に損傷が及んでしまいます。冷やすことにより組織の代謝活動性を落とし、2次性の損傷を予防します。すなわち性外傷のICINGには、痛みを取り、出血を止め、組織に悪い代謝を落とす3つの効果があります。

川久保誠 profile

1981年慶應義塾大学医学部整形外科教室入局。93年医学博士。94年英国リーズ大学医学部大学院へ留学、修士課程修了。96年より慶應義塾大学病院膝関節・スポーツ外来担当。東京歯科大学市川病院整形外科講師を経て2004年4月より川久保整形外科クリニック院長となる。浦和レッズレディースのチームドクターも務めた。
川久保整形外科クリニック
整形外科・スポーツ整形・リュウマチ科・リハビリテーション
http://www.kawakubo-clinic.jp/

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