河合貴子のレッズ魂ここにあり!「果たせぬ思いを仲間に託して~野田紘史選手」
J開幕から浦和レッズを追いかけ、ケーブルテレビのパーソナティなどで活躍をしている”タカねえ”こと河合貴子さんによる浦和レッズコラム。毎週、タカねえの独自視点の浦和レッズを語ります。
今季限りでの退団が決まった野田紘史の想い
野田紘史選手に突き付けられた現実は「来季の契約更新をしない」という厳しいものであった。
それを受けて野田選手は「結果的に今シーズンは全然試合に出てないし・・・。試合に出られず悔しい時間もあった。試合に出るチャンスも貰ってないわけではないし、その中で自分のミスもあったので、悔いが無いと言ったらウソですけど・・・。自分の中でやれることは、やって来た。そういう意味では、悔いは無い。ただ、悔しい思いはあるがしっかり現実を受け止める」と胸中を語った。
野田選手は、数少ない左利きとして2009年、大卒ルーキーとして浦和にやって来た。しかし、試合に出るチャンスが無いまま、たった半年でJ2の岡山にレンタル移籍となり2011年に浦和に復帰した。岡山では主力として、果敢なドリブル突破から攻撃参加し、持ち味のスピードとテクニックでチームを牽引した。岡山の影山雅永監督は「野田は良い選手だよ。浦和に戻るのは仕方ないが、うちは痛いよ」と当時、野田選手が浦和に戻ることが決まった時に話してくれたほど、J2で試合経験を積んだ野田選手の成長は目を見張るものがあった。
だが、浦和に復帰してから野田選手には激しいポジション争いが待っていた。昨シーズンはリーグ戦12試合、ナビスコ杯4試合、天皇杯2試合出場したが、今シーズンはアーセナル戦で存在感を見せた野田選手であったが、怪我に見舞われる不運もあり、天皇杯2試合だけであった。
「試合に出ることの充実感。試合に出無いとサッカー選手は、始まらないと思う。でも、浦和での過ごした時間は掛替えの無いものだった」と野田選手は話した。
浦和で忘れられない試合は何かを尋ねたら、野田選手は少し間を置いて「ナビスコカップの磐田戦」と恥ずかしそうに教えてくれた。2012年4月4日、ナビスコカップの磐田戦の後半37分DFラインでボールを繋ぎ、野田選手が前に持ちだして縦パスを入れるタイミングを山田大記選手に狙われ、そのままゴールを決められて3-4で敗戦した。試合後に野田選手が男泣きしたあの試合である。「あの試合、俺のミス。悔しい思いもあるし、あれでやってやろう!って思ったし、一番心にある。気にするなって言ってくれたのもミシャ監督だった。そこで掛けて貰った言葉って大事。逆に他の選手が同じようなことが起きた時に、どういう声を掛けたら良いか分かる。選手として、色んな意味で一つ大きくして貰った」と野田選手は振り返った。
そしてJ1残留争いした11年シーズンを「力はあるチームなのに、噛み合ってなくてあそこまで言ってしまった。辛い中でもJ1に残れた」と野田選手は浦和で過ごした大切な時間を愛おしむように話した。
野田選手にとって浦和で過ごした時間は、順風満帆ではなかったが、浦和でしか得られない貴重な経験をしたのだ。その経験を野田選手は、決して無駄にはしない。その力が野田選手にはあると思う。
「こうやってチームが優勝争いしているのも、幸せ。残り2試合、今はチームの中でしっかりと頑張って、自分がやれることをやる。俺にとって掛け替えのないチームメイトがいる」と野田選手は笑い「ここより良いチームは無いと思う」と誇らしげに話した。そのチームメイトのために、野田選手は残り2試合、全てをかけて共に闘う。ピッチに立てず浦和を去ら無ければならない無念な思いは、野田選手にとって掛け替えのないチームメイトが一番分かっているだろう。だからこそ、ピッチに立つ選手はその思いに恥じない闘いをして、勝利を掴み獲るはずだ。
Q.アキレス腱を鍛える方法はあるのでしょうか?
A.筋肉は鍛えることで筋量が増加します。アキレス腱は怪我や障害で太くなりますが、鍛えることで腱の量は増しません。したがって、アキレス腱断裂は、もともと細い人は切れやすいと言われています。したがって予防には、運動をする前後のふくらはぎのストレッチが大切です。久しぶりに激しい運動をする人、特に、中高年者はアキレス断裂を起こさないよう気を付けましょう。
川久保誠 profile
1981年慶應義塾大学医学部整形外科教室入局。93年医学博士。94年英国リーズ大学医学部大学院へ留学、修士課程修了。96年より慶應義塾大学病院膝関節・スポーツ外来担当。東京歯科大学市川病院整形外科講師を経て2004年4月より川久保整形外科クリニック院長となる。浦和レッズレディースのチームドクターも務めた。
川久保整形外科クリニック
整形外科・スポーツ整形・リュウマチ科・リハビリテーション
http://www.kawakubo-clinic.jp/